夜は短い このところ、立て込んでいたこともあって、映画を見るときはもっぱら、Amazonで購入して自宅で鑑賞というのが、最近の流れでありました。 そんなわけで、映画館まで行って映画を見る、ということから少し遠ざかっていた私です。 予告編を見て、これは観たい!! と思ったものでも、気付けば近場の映画館では上映終了となっていて、悲しいやら悔しいやら、そんな思いを幾度と繰り返して過ごす日々。 いい加減この負の連鎖を止めなければ、先週今週と映画館へと出発。 徒歩20分で到着するからこその重い腰をようやく上げたのでありまして。 先週今週と、見たのは『名探偵コナン から紅の恋歌』と、『夜は短し歩けよ乙女』の二本。 とくに夜は短し~の方がとてもよかったので、Twitterでも感想を上げたくせに、放置気味なこのブログにまで記録しておこうと思うわたくし。 自分的なメモですので、以下適当に、オチもない文章が続きます。 まず自分、この映画の原作を読んでいたのですが、それも、もう随分と前の事。 聞けば、原作の発売から10年もの歳月が過ぎているという。 自分が手に取ってからそれほど時間が過ぎたわけでは無いが、それでももう何年も前の出来事だ。 内容もかなり霞んで思い出せない部分も多い。 実際、上映されてしばらくは、こんな話だったかと記憶を呼びお起こす時間も結構あった。 しかし。 忘れていた記憶は徐々に蘇り、スクリーンに映し出される物語とリンクしていく。 まるで自分の思い出を眺めているかのような不思議な感覚で、中盤の古本市や学園祭のシーンを見ていた。 そして、ラストへ向けての一連の中。 李白さんの元へ乙女が辿り着いた時。 あの、示す時の違う時計に囲まれた部屋を見たとき。 思ったのは、夜というのは何とも不思議なものなのか、ということで。 思い返せば映画に描かれた、様々な夜の姿。 それは夜の中で、不思議と出会う人々だけの話ではない。 騒いだ街に留まる夜も。 熱を孕んだ静かな夜も。 光と共にきらめく夜も。 嵐をもって流れる夜も。 ただあるだけのものなのに、どうしてこうも時々に姿を変えるというのか。 たとえ同じ夜でも、人によって、物語によって、あるいは夜自身によって、見え方の変わる不思議さ。 別に映画の物語の主題に沿っているとは思わないが、あの映画には、そういった様々な夜の姿が詰まっていたように感じたのです。 [1回]PR