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儚さよりも、懐かしさと憧れを

去年はなんだか、駆け抜けた。
まだ、終わっていないのが辛いところ。


以前の更新から、もうすぐ一年になりそうだったので、さすがにそれは阻止すべく、こうしてPCに向かい合う。
文章を書くこと自体が久しぶりといいますか、人に読んでもらうための言葉をそういえば、ここ数か月の間、意識したことが無かったことに気付いてしまう。


さて、一年もあればさすがにブログネタの一つや二つあるだろうと思ったのですが、しかしこれがなかなか難しい。
思い返しても本当になくて。
仕方がないので、ひた隠しにするつもりだった、ネタを一つ引っ張り出してそれでいこうと思います。





去年の後半から、現在にかけて私は一つの沼にどっぷりと、そりゃもう身動きがとれないほど、浸かってしまっていました。

"欅坂46"

アイドルなどハマるわけがない。ましてや、気が付けば膨張している48関連のグループなど、触れる気にもならない。
その気持ちは今でも変わっていないのが正直なところ。

知るならすべてを。
それが無理なら、否定もせずに、静かに無視を決め込むべし。

それを教訓に日々を生きてきた私。
当然、欅坂の彼女たちも例外ではなく、私が自ら進んで触れ合おうとなどしなかった類のジャンル。
だから、彼女たちとの出会い。それは突発的な、ある種、事故の様な出会いだったわけで。

ながらみのテレビ。
騒がしい流れの中で、なんちゃら46の紹介が終わって。ふと顔を上げたときのこと。

枯葉が舞って、始まるメロディ。
洒落た曲調に、中性的で目を引く眼鏡の少女。
画面に映るのは、スーツ姿の少女たち。
曲の最後に、地面に落ちた枯葉を踏みつける演出。

そのすべてが胸に刺さったわけですよ。
自分の趣味にドストライク。
中性的な眼鏡少女の、スーツ姿。
なんてことない、小細工演出は、シンプルだけど物語が見える。

アイドルという遠い世界の壁は、僅かな時間のパフォーマンスだけで、取り払われて。
本当に、格好良かったんです。


その日から。
欅坂を影ながら応援する日々が始まりました。
過去のブログで泣いて、日々のパフォーマンスに胸を痛め、年末の大舞台に不安を募らせ、目を逸らしたいくらいに不器用な姿に、残酷な、勝手な期待をよせる。

不器用で、不安定で、脆くて、危なっかしい。
そのすべてが、輝いて見えた。見えてしまったのです。


本来、アイドルとは、観客たちの前で完璧であり続けてこその偶像だと、そういう意見もあるのだろうと思います。


彼女たちの姿は違うのです。
身を削って、醜さを隠す術は持たない。
そんな真似していては、刃が心臓まで届かぬと言うかの様に、全力で表現することに振っている。
自己を捧げよう。
身体を差し出そう。
足りぬのなら、魂もともに。

だから、刃が胸を突く。


きっと、成熟すれば、色々な事が出来るようになって行くのでしょう。
未熟だったころの全力は、いずれそつなく熟せるようになってしまうのでしょう。
でも、そうなってしまえば、魂はもう、削らない。
それが大人になる事の一つの要因で、そうなると、刃は他の誰かに届かなくなるかもしれない。

ずっと身を削って戦ってくれ、と願っているわけでは無いのです。
いずれは、一人の人として、結婚とかして幸せになってほしいとか、完全に親目線の一ファンではあるのです。


だからこそ、今、私は彼女たちにハマってしまった。
いずれ無くなる、魂を削らなければならない舞台。
それが今しか見れないとわかっているから、目が離せない。
そんな、欅坂46という物語に惚れ込んでしまったのです。


もがきながら進んでいく姿は、自分が諦めてしまった出来事に見えて。
なんだか少し輝いて見える。






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