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灰と幻想のグリムガル

始まったばかり、まだ一話しか判断材料がない時点での評価は、僕だけでなく、作品自体にも悪影響となる場合があるだろうとは思いましたが。
物語の可能性を感じたので、ちょこっと、その辺を書いておこうと。
どうせ、罵詈雑言をもって批判したところで、こんなブログ誰も見ていないでしょうしね。


◇◇◇


まず、僕はこの『灰と幻想のグリムガル』という作品を知らなかった人類でございます。が、正直言うと、原作にはさほど興味がございません。
問題なのはアニメの出来。
一話部分での構成と、作りこみ。
アナログからデジタルへの“変化”ではなく。
アニメとしての“進化と成長”が、あっただろうと。
あくまで、個人的な意見だけれども、ドラゴンボールなんかはデジタル彩色の前の方が圧倒的によかった。雰囲気というか、凄みがあった気がする。
目に引っかかりが無いというか、綺麗すぎるというか。――ちょっと話が明後日の方に行きそうなので、戻しますと。

この作品中最も目を引き、魅力となるべき、背景の書き込み。
それに伴って、キャラクターにもいくつか特殊効果が当てられ、背景から浮かない工夫がされている。
淡いタッチに、キラキラと輝く光。その世界、その時間の空気感まで、描き切っていたなぁと。


アニメに置いて、その部分はとても大事な要素の一つだと、僕は思っています。
背景画。
また、それから浮かない事。
ファンタジー物の場合、キャラクターや、更にはストーリよりも、僕は気を使ってほしい部分。
それが適当で在れば、ファンタジーの魔法や妖精の世界が嘘に見えてしまう。
そうすると、画面のどこかに違和感を常に持ってしまって、ストーリに集中できない。
折角の良く出来たストーリでも、世界観の嘘が画面に出てしまうと冷めてしまう。
作品自体が大嘘なのだから、細かなところに矛盾を感じさせてはいけない、と。
小説であれば、地の分である程度その辺は補完できますし、何より総てを書くわけではないので、それぞれに理想的な世界を想像する余地があります。
しかし、アニメではそうはいかず、一度書いてしまえば、それがどんなにクソッたれた世界でも、原作の文章からの想像からかけ離れた偽物でも、作品世界として確定してしまう。

このアニメのいいところは、世界の確定のさせ方。
背景だけでない、キャラクターの性格や、無意識の行動、退屈や浮いた気分なんかの表現方法。
例えば、階段を下りるカット。
指先で詰まれた石の壁を撫でながら降りるシーン。
僕なんかはよくあんなことをしながら、階段を降りるわけだけど、そういうカットが一つあるだけで、ファンタジーの世界が一層身近なものになる様に感じる。

それに、キャラクターそれぞれの個性が強すぎないのもいい。
そりゃ、多少のスパイスや立ち位置的な個性はあるが、表情から何考えてるか分からないのがいい。


これは、公式サイトトップの画像だけれど、何考えてるか全くわからない。
赤髪の少女とか、何も考えてないようにすら見える。
しかし、そこがいい。
現実で他人の考えなんて、どうせ一つも分からないのだから。
アニメだってわからなくていいじゃないか。
そもそも、表情豊かなキャラクターとか……、間違っているとは言わないが、最近多すぎる気がするし、大袈裟すぎる気がする。

もっと、多様な表現の仕方があってもいいとは思うのに、どんどん似通った没個性に見える。
あんなに可笑しな髪色なのに。
変な口癖で、変な言動なのに。
近頃はそんなキャラクターが多すぎるせいで、かえって普通。
特徴だと、設定なんだな、と。見てる人に意識させるのは、それをやりすぎるのは、ちょっとかんがえものだろう、と。


…………更に話が明後日の方向に。
まぁ、オチがあるわけでもないので、強引に締めに入りますと。

ストーリは期待していない。
ただ、アニメとしての、演出、カット割り、背景や描写。
それらを含めたうえでの、物語の進み方には期待しています。

願うは一つ。
どうか、醒めさせないで。

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